投稿者:tamisan
エクス・アン・プロヴァンス セザンヌの足跡を訪ねて
今年は日本・フランスともに印象派イヤーとなっていますが、印象派を代表する画家として
忘れてはならない、ポール・セザンヌ (Paul Cézanne)の足跡をたどってみましょう。

まずは、セザンヌが晩年に絵画制作でそのほとんどの時間を過ごしたアトリエ。
エクス・アン・プロヴァンスの中心地から徒歩で約15分。
1906年にセザンヌが亡くなった後、アトリエは一度他人の手に渡りましたが、その後セザンヌを
こよなく愛するアメリカ人がアトリエの保護に努め、約100人もの寄付を募りアトリエを購入。
エクス・アン・プロヴァンス大学へ寄贈しました。そして1969年にアトリエをエクス市へ譲渡、
現在に至っています。
ひっそりとしたたたずまいの中、2階にはセザンヌが好んで描いた静物画の題材となったリンゴや
骸骨、花瓶、ランプ、そして実際にセザンヌが使用したキャンパスや作業着が飾られています。

中は残念ながら写真撮影禁止ですが、日本語の説明
書きが1冊おいてあり、それを見ながら見学することが
できます。アトリエの中にいると、今にも扉の向こうから、
セザンヌが出迎えてくれそうな錯覚さえ感じます。
さて、市内に入って地面を見ると・・・・・おや?「Cézanne」って書いてある!

そうです、このプレートに沿って歩くと、セザンヌの足跡をたどることができるのです!!
ポール・セザンヌは1839年にエクス・アン・プロヴァンスで誕生しました。セザンヌの父親、
ルイ=オーギュスト・セザンヌは、エクス・アン・プロヴァンスで帽子の仲買人として働いていました。
エクスの羊毛販売店で働いた後、パリに出て帽子作りの仕事を学び、パリからエクスへ戻った後、
帽子作りの仕事をしていた仲間と一緒に、仲間が住んでいた帽子屋の2階で仕事を始めたのです。

エクスの中心、ミラボー大通りに面する銀行(CIC)
が目印。
セザンヌの父親はこの建物の2階で、帽子屋として
仲間と仕事を始めたのでした。

2階の外壁には、「Chapellerie du Cours Mirabeauー
ミラボー大通りの帽子屋」と表示があり、当時の名残を
残しています。
その後、ルイ=オーギュストは銀行を設立。
息子のセザンヌに後を継がせようと彼に法学部進学を勧めます。

1859年、セザンヌは父親の意向に従い第1次大学
入学試験に合格しましたが、絵画への情熱を捨てきれず、
最終年に弁護士や司法官免状取得のための入学手続き
をとることはありませんでした。

法学部の目の前に聳え立つ、サン・ソヴュール大聖堂
(Cathédrale Saint Sauveur)では、
1906年10月24日にセザンヌの葬儀が行われました。
この教会の中には、5世紀から17世紀までのロマネスク・
ゴシックといった、あらゆる建築様式が一堂に集まっています。
15世紀のプロヴァンス絵画を代表する宮廷画家、ニコラ・
フラマン昨の三連祭壇画といった芸術作品が見どころです。

市役所では、ポール・セザンヌの両親の婚姻届や、
セザンヌの誕生&死去といった、証明書類が
保存されています。
このようにあらためて、エクス・アン・プロヴァンス市内を
セザンヌの足跡をたどって観光してみると、セザンヌの
生まれ故郷、エクス・アン・プロヴァンスをこよなく愛して、
生涯にわたり住みつづけた彼の気持ちが少しわかった
ような気がしました。
いかがですか?
なお、エクス市内には「ラ・ディアブリーヌ La Diabline」というミニ電動自動車が
走っており、3つの巡回コースを10分毎に行き来しています。


停留所はなく、周遊コース内を循環しており、乗るときは手を上げて
知らせるだけ。簡単でしょ!!
日・祝日を除く毎日8:30~13:00&15:00~19:30運行。
1回の乗車料金は0.5ユーロで、運転手から直接購入できます。
「ラ・ディアブリーヌ La Diabline」 に関してはこちら
今回ご紹介したものは、セザンヌの足跡のほんの一部ですが、印象派イヤーの2010年、是非、
エクス・アン・プロヴァンスで、セザンヌゆかりの地を訪ねてみてください。
エクス・アン・プロヴァンスの日本語案内はこちら
エクス・アン・プロヴァンス観光局 「セザンヌゆかりの地」案内はこちら
次回は、都市観光クラブ最終訪問都市 「マルセイユ」 へ皆様をご案内いたします。
(C)ATOUT FRANCE JAPON
July 21, 2010 9:28 AM カテゴリー:観光情報




