投稿者:M.MK

オペラ座の主役(前)

 いよいよ観劇シーズンもたけなわ。パリのオペラ座で観劇、などというとタキシードでも着ていかなないといけないのか、とも思ったが(そういったご質問も多いですが)、そんなこともなく、まぁ普段より少し小奇麗な格好で行けば、特に何事もなく入ることができる。ちょっと拍子抜けだが、たしかに江戸時代当時、比較的金のある商人でないと行けなかったという高い料金だった歌舞伎を21世紀の今日、我々が観劇するのに、別に必ずしも江戸の若旦那風情で行く必要もないのと同じことらしい()

 というのも昔の小説、例えば『椿姫』(オペラでもお馴染み)を読んでみると、椿姫と呼ばれる女性が観劇に使う席には毎回椿の花を送る人がいたり、またバルザックの小説では何頭立ての馬車で行くのかが、問題になったりしている。今で言えば、ジャガーやアストン・マーチンなどで無駄に馬力を見せつけながらオペラ座に乗りつけなければならない・・・ということなのだろうか?と思いを馳せ、はてどこでそんなものを調達したものかと、オペラ座の入り口を観察してみたが、入り口では、そんな華々しい光景はなく、地下鉄の出口から歩いてきたり、タクシーだったり、である。オペラ座に入って行く人も、比較的清潔な普段着、せいぜい(仕事帰りの)スーツくらいのもの。

 要するにその昔は、客席と言えども今日のように暗転せずに、シャンデリアで照らされ、観客は舞台で役者たちが演ずる劇そのものを見るよりも、あちこち歩き回り、挨拶し、歓談し、派手な格好をして自分自身を見せびらかし、客席の人々が、どんな服を着てきたかとか、誰と来ていたとか、誰と話していた等々という、舞台よりも客席で進行しているドラマの方が重要性を帯び、好奇心をそそられていた、ということらしい。(続く)

投稿者:M.MK

ヴォルテール河岸のホテル(後篇)

なるほど、ホテル、ケ・ヴォルテールQuai-Voltaireの窓から見えるのはピサロの作品そのままの景色である。

ただ、ここの部屋に籠って何か仕事をするというのも大変なような気もする。。。。というのもオルセー美術館も近く、シックなことで知られているバック通りrue de Bacもあるし、それを下れば、サンジェルマン・デ・プレはすぐ、対岸に渡れば、ルーブル、パレ・ロワイヤル、ガルニエのオペラ座があり、シテ島にも少し歩けば渡れるし、オテル・ド・パリ、ポンピドー・センター、ヴォージュ広場も歩けないことはない。たしかに歩いていればどこまでも行けるが、実に次から次へと景色が現れ、パリのど真ん中の景色に引きつけられ、ついつい歩き続けてしまうのである。

ボードレールはパリの代表的な遊歩者だったことを思えば、目的もなく、ただただ歩く拠点として最高の場所なのかもしれない。ちなみに彼は若いころは親から遺産を受け、まさにパリの中心であるシテ島のピモダン館という豪華なアバルトマンに住んで、ダンディーぶっていた(文学仲間を集めてはハシッシ(麻薬の一種)・パーティーを開いたりしていた。。。)ホテル・ケ・ボルテールはそこに代わる場所、ということだったのかもしれない。そんな遊歩者が滞在した場所なので、やはりここに泊まると滞在中の時間を散歩だけで過ごしてしまう可能性が高くなり、足の裏が痛くなります(やっぱり石畳は硬いよぉ、日本のアスファルトより。。。)。どうぞ、サロンパスなどをお持ちください。。。。

投稿者:Shinobu

モネの珍しい睡蓮の絵

夏にご紹介しましたノルマンディー印象派フェスティバルは好評のうち幕を閉じました。

皆さんは、ヴェルノン(Vernon)という町をご存知ですか?パリからモネの家と庭園のあるジベルニーに行く時に、列車でこのヴェルノンに降り、そこからバスに乗るための町という印象の町ですが、実はここにも小さいですが素敵な美術館があるのです。この美術館の初代館長はモネと親交があったそうで、モネから睡蓮の絵を寄贈されました。モネは光の移り変わりによって同一の対象が変化していく様を描く連作形式で描いたので、同じテーマ、構図の作品が多くみられますが、この絵は珍しく丸いキャンバスに描かれています。この連作はここヴェルノン美術館の絵を含めて4作品あるそうです。

  Nymphéas, 1908
 ©ATOUT FRANCE JAPON                                      Huile sur toile, diamètre :81 cm
                                                                                      Vernon, musée municipal A.-G. Poulain

 丸いキャンバスの絵ってほとんど見たことなく、この絵を見た時とってもかわいいなぁと思いました。

どうですか、いいでしょう。他の作品がどこにあるのか気になりますか?
この絵と同じ1908年の作品が、アメリカのダラスの美術館に、1907年の2作品は個人所蔵(アメリカ)とリヨン近くのサン・テティエンヌという町にある美術館にあります。2作品はフランスで観ることができるんです。機会があればぜひ観に行ってみてください。

ちなみにヴェルノン美術館は、フランスでも珍しく動物にまつわる作品(絵画、彫刻、剥製など)400点、、モネをはじめとしてジヴェルニーで活躍した芸術家の作品、スタンラン、ジャン・リクトュス、ジャン・リシュパンなど彼らと懇意にしていたランベルティ氏から寄贈によるコレクションが常設で展示してあります。もちろん企画展も開催しています。

これはちょうど私が訪問したときにしていた展覧会です。

 

 

ヴェルノン美術館子供の絵

実はこれ、地元の児童館の子供たちがこの美術館を見学したあとに描いた作品です。岡本太郎でないですが、「芸術は爆発だ」って感じで見応えありました(笑)

 

ヴェルノン美術館
Le Musee A.G. Poulain de Vernon
住所:12 rue du Pont - 27200 VERNON
Tel : +33 (0) 2 32 21 28 09  Fax : +33 (0) 2 32 51 11 17
開館時間:
4月1日~9月30日 火曜~金曜 10:30~18:00 
10月1日~3月31日 火曜~金曜 14:00~17:30、土、日は14:30~17:30
休館日:月曜および祝日
料金: 3.50ユーロ
http://giverny.org/museums/poulain/index.htm(サイトは更新されてませんが、上記の情報は2010年現在のものです
)

 

 

 

投稿者:M.MK

ヴォルテール河岸のホテル(前編)

ピサロが『ロワイヤル橋を描き、ワーグナーが『マイスター・ジンガー』を劇作し、ボードレールが『悪の華』の執筆をし、シベリウスが、エリック・サティが滞在し、オスカー・ワイルドに至っては、パリでの快適な長期滞在のために部屋の壁に自ら絵を描いてしまった・・・・というホテルがある、と聴けば、これはどこであろうと、行って泊まってみたいと感じざるを得ませんよねぇ(そうでもないですか?まさかぁ!?)

そんな芸術家たちを集める磁力を持っているとか思えないホテルがパリにある。ケ・ヴォルテールQuai-Voltaire (ヴォルテール河岸)にあるホテル、その名もケ・ヴォルテールQuai-Voltaire (http://www.quaivoltaire.fr)で、実に通り名そのままの名前である。セーヌ河岸にあるせいか、どこかしら船宿のような印象を受ける(が、川で上がった新鮮な魚の天ぷらなどが出てくるわけではありません)

セーヌを挟んでルーブルの向かいにあるという地の利からなのか、あのホテルは、すごい霊感が湧いてくるぞぉぉ、などと芸術家連中の間でパワースポットだと思われていたのか、いよいよ謎は深まるばかりですが、そんな偉人たちが滞在したホテルはどんなものか、どれどれと思って泊まってみた。入って見ると、赤い絨毯が敷かれ、小奇麗ではあるが、派手であったり、ゴージャスであったり、ということもなく、とはいえ地味という感じもしないという絶妙な内装が施されている。(最近リノベーションされたようである。ご注意。) 部屋に入り外を見ると、目の前がすぐセーヌ河である。ルーブルも見え、橋も見える。著名な画家に画を描こう思わせた景色が味わえるのである。(つづく)

 

投稿者:M.MK

パリの放浪者

パリには英語の本を中心とした本屋があった。シェイクスピア・アンド・カンパニー書店で、1919にアメリカ人女性シルヴィア・ビーチが始めた。ここは本の販売だけでなく、蔵書1万冊の英文学の図書室もあった。無一文の芸術家に店の手伝いをすることで宿を貸すなど、若者たちを助け、ヘミングウェイはこの店の常連となった。『移動祝祭日』にそのことが書かれている。そのほかにはエズラ・パウンドフィッツジェラルドガートルード・スタインジョージ・アンタイルマン・レイジェイムズ・ジョイスなどがこの書店で時を過ごしたという。ジョイスに至ってはアメリカ、イギリスで発禁処分を受けていた『ユリシーズ』の版元となってもらい、『ユリシーズ』の続刊は「シェイクスピア・アンド・カンパニー」から出版された。

さて、ナチスによってこの店は閉店させられてしまうが、1951アメリカ人、ジョージ・ウィットマンによって、もう一つの英語書籍の専門店「レ・ミストラル」がビュシュリー通りrue de la Bûcherieに開店する。この店が次第にパリ左岸のボヘミアンたちの文学活動の中心地となり、1950年代にはアレン・ギンスバーグウィリアム・バロウズといったビート・ジェネレーションの作家たちの拠点となった。1962にシルヴィア・ビーチの死んだときに、「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を襲名した。つまり、現在のシェイクスピア・アンド・カンパニー書店は実は本家とは場所も違う二代目であるが、その名にふさわしい店と言えよう(http://www.shakespeareandcompany.com)

 

 上記の事に限らず、パリは、あるいはフランスは放浪者たちの文化を育んだ例は多い。例えばジャズの伝説のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトはロマ族の旅芸人一座の芸人の子供で、各地を放浪しながらたどりついたパリで大活躍した。祖国で居場所を失った、あるいは祖国を持たないコスモポリタンたちの文化も育み続ける、旅人たちの町である(町であった?)

 

 

 

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